1月3日

スクールオブ・アロマーティカの特色の一つにセルフコンディショニングという項目があり、これは授業の中でほぼ毎回行なっていくのでありますが、普通ヨガやピラティスにしてもストレッチなどの体操にしてもインナーにしろアウターにしろ筋肉系やエナジースポット、力学的な重心ラインなどに対して意識的に働きかけていくモノであるのに対して、我が校は身体矯正を中心に据えた自然手技療法のスクールである故、ダイレクトに骨組みの矯正を行なうべく身体に働きかけていく体操を行ないます。

スクールオブ・アロマーティカには、他に類を見ないとても独創的であると言う概念やメソッドが多々あるのですが、このセルフコンディショニングというメソッドはその最たるものかもしれません。

私達治療家、セラピスト、手技者…(呼び名は何でもいいですが)は、色分けするとブルーカラー/肉体労働者ですが、同じ青系でも運送業と漁業の方の身体の使い方が違うように手技者特有の身体の使い方とそれに伴う疲労というものがあります。

一番の特色はクライアントが元気でないということと、不安定な前傾姿勢で身体を使うこと、そしてエネルギーワークであるということです。
このエネルギーワークというのは、カロリーを消費すると言う燃焼エナジーとはまた違った生命エネルギー、あるいは意識系エナジー、俗にいう「氣」とか「プラーナ」などと呼ばれているもので、長らくその存在の有無が取り糾されていますが実際に施術を行なっていくと心底ぐったりとしたり、邪気と呼ばれるネガティブエナジーを纏ってしまったりしながら手技者は実感として嫌応無くその存在をわからされていくのであります。

経験上、これらのエネルギーには3種類の識別が出来るのかなと思っております。まず齊下丹田という少周天という気功法で言うベーシックなワークを続けていくことで体内、特に下腹部に蓄えていくエネルギーを使い施術を行なうという、まぁこれが一般的に言うところの「気を使いながら治療が出来る」ということになります。

ワークが進み身体開発が深いレベルで行なわれてくると今度は脊髄を通るエネルギーを使いながら施術が出来るようになってまいります。気功法で言う大周天ですね。頭頂部と会陰部を解放し、エネルギーフィールドを体外へ放出しながら身体をコントロール出来るようになるとこの脊髄系のエネルギーが使えてくるよ言うになってくるのではないでしょうか。外気功を使う治療家などはこのレベルで充分に身体を作り上げていかないとすぐリタイヤしてしまいますね。

何年も前になりますが、エナジーワークを行なっていた時に始めて肩甲骨間から3mくらい上方に向かい体外へとエネルギーが放出された時はビックリしたと同時に物凄い快感がありましたね。あれは忘れられない至福でした。

そして大周天をやり込んでいくとなんと言うのでしょうか身体がどんどん希薄化されていくような感覚が出てきます。エナジースポットとかなんとかかんとかいう決まり事が無くなって来てとても自由な感覚になってきます。そうすると大脳前頭連合野付近からダイレクトにエネルギーをコントロール出来るようになってまいります。エネルギーがどんどん微小化されてくるのでしょうね。こうなるとおもしろいことに背骨など思った瞬間に矯正が出来ます。ぎっくり腰や寝違いなど瞬間で治りましたね。一時これがおもしろくておもしろくて次々と来る患者さんに瞬間芸の施術を行なっていた時期があるのですが、みるみる自分の人相が悪くなって来て体調も下降線をたどっていきました。まだ心と身体が未開発だったからです。患者さんの業を背負ってしまうということがわかったので半年経たないうちにキッパリとやめました。今でも背中を触ろうと下瞬間に「あれ、治っちゃった!」ってことはありますが手技を高めていくことに専念して意識的に使わないようにしています。難病奇病などを治す治療家は意識しているいないはあれこの前頭連合野からのエネルギーを使っています。

一口に「氣」といってもこれだけの種類が、いや、本当はもっとあるでしょうね、レベルがあるのです。

よって一流の手技者を目指すのであれば脊髄のコントロール&鍛錬などのセルフコンディショニングはMUSTなのです。自分の身体の鍛錬ひとつ出来ていないのに「一流の技術が身に付きます」という謳い文句を掲げる学校はいったい何を考えているのか?心底疑問に思います。

一流の技術、車に例えるとF1ですか。馬ならサラブレッドですね。一般のプロのレーサーや趣味に乗馬をやっている人では普通に乗ることすらも出来ないほど「一流」とは他とは違うのですよ。治療も一緒です。


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では一流の技術とは?
基本は触手です。触って、放す。これがすべてです。
どのように触って、どのように放すのか。

触って、放すとハンセン氏病が治ったら?
触って、放すと幼少時から失っていた視力が戻ったら?

嘘でしょ?こんなの。
でもイエスキリストはやっていたでしょ?これ。
釈迦もその弟子達も。古今東西、不思議はたくさんあったでしょ?
話十分の一としても少しはあったでしょう、不思議は。
高僧がお経を唱えながら作った御神水は波動水だし、手かざしは外気功だし、触手はレイキですか。魂振りにしてもこれらは全部今で言うとナチュロパシーですね。

技術には浅深高低があります。根底には使いこなす人間としての格があります。
手技療法は痛い所に手を当てる「手当」を技術化したものですから誰でも出来ます。一番上手いのは我が子に触手するお母さんでしょう。そして行き着く到達点には釈迦やキリストがいると言うのが私の手技療法に関する考えです。

彼らはなぜそんなことが出来たのか?それはきっと人間の設計図を知っていたからだと私は思っています。医学とは突き詰めていくと人間学となります。人間が生きている。ある一定以上の歪みが生じて病を発病する。治そう。ではどこに照準を合わせるのか?完璧にワークしている状態に合わせていく。人間の完璧って?正しい状態って?二元論的に肉体オンリーなら科学で解明出来たかもしれないけど精神的状態がダイレクトに肉体に反映しているのが常識となっている現在「想い」を抜きにして人間は語れない。人間ってなんでしょうか?

医学は突き詰めると人間学なのです。

だから私達、インテグレイテッド・ナチュロパスには深い洞察力が求められるのです。

「食・息・動・想・環境」思想が必要なのです。

その上で身体の矯正が来るのです。
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by school12 | 2008-01-03 09:36 | I・natyuropathy


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